27『制圧、そして掌握』



 相手の立場になり、相手の出方を読む。
 その上で、相手が狙っている事を防ぐ手を打つ。

 自分が構成に出る前に、もう一度相手の気持ちになって考える。
 まだ手があるのなら、その芽を積んでおく。

 そうして、全ての望みを断ったとき、私は場を掌握する。




 医務室を出たティタ達は一時も足を止める事なく、目的地に向かって走っていた。彼等が今いるのは、研究・開発室棟から魔導学校棟に直接通じている通路で、その途中にあるのが、今の彼等の目的地である『魔導研究所図書館』である。

「ティタはん、早よ早よ!」と、一足先に図書館の前に着いたカーエスが、遅れてきているティタに向かって催促する。

 そのかなり後方でティタは、ほとんど歩くのと変わらないスピードで走っていた。息は既に切れ、顔全体に玉の汗が浮かんでいる。
 気丈な性格とは裏腹に、彼女は運動があまり出来る方ではない。とはいえ、それは戦闘訓練を受けているカーエスやジェシカを基準にした場合の話で、体力面からもティタの身体能力は十分に人並みと言える。

「あたしは、アンタ達と、違って、戦闘訓練を、受けてる、わけじゃないんだから、そんなに、急かされても、困るんだよ」と、肩で息をしながら、ティタは言い返すと、図書館の入り口の方によろよろと入っていく。


 魔導研究所図書館は、円筒状の施設でとにかく天井が高い。この図書館の蔵書量は、世界中から集められた論文を中心に百万冊以上の蔵書量を誇る。それは高い天井まで届く大きな本棚に、隙間なく本が収められている様子を見れば分かる。
 円筒の底にあたるフロアには何組かの閲覧用の机と椅子が配置されていたが、利用している者は誰もいなかった。この膨大な容積を誇る空間が、無人の寂しさと静けさを強調している。
 この図書館に収められている本の内容は全てデータ化され、研究所内の魔導器に保存されているため、研究室にある端末からいつでも直ぐに知りたい内容を検索し、閲覧する事ができるのだ。そのため、わざわざここまで来て本を探し、ページをめくって自分の知りたい情報を探すという行為をする人間がいないのである。

 図書館の入り口にあるカウンターには一人の司書らしき初老の女性が座って本を開いていた。
 ティタ達の気配に気が付いたのか、その女性は本から顔を挙げ、ティタの顔を見上げて嬉しそうに微笑む。

「おや、ティタさんじゃないか。また何か探しに来たのかい?」

 その笑顔が人懐っこいと感じるのは気のせいではないだろう。こんな広い場所でずっと一人でいなければならないのだ。

 ティタは度々、ここに訪れる数少ない常連の一人だった。
 研究の為に、使うわけではないが、余暇などを得た時、息抜きをしたい時などにはここに来て、何となく興味のある本を読みふける。端末で見られるデジタルな文献では感じられない、本の匂いやページをめくる時の感触、そしてこの図書館の静寂さがティタは気に入っていた。

「ああ、ちょっと本でも読みながら考えたい事があってね。しばらく奥の方を借りるよ」と、ティタは司書に親しげに挨拶をすると、カーエス達を連れて奥に入っていく。

 図書館は円筒状の施設だが、円筒は入り口にある一つだけではない。円筒を束ねたような構成で、奥にはいくつもの同じような空間が繋がっている事が見て取れた。それ故に迷い易い構造の図書館を、確信しきった足取りで奥へ奥へと入り込んでいく。
 最初は周りを見回しながら、道を見失わないように付いてきていたカーエスだが、今はその努力を諦めたようで、代わりに何か聞きたげな眼をティタに向けていた。それでも、口を開かなかったのは、どんなに小さな声で話してもその声が大きく響いてしまうからだろう。いくらティタの馴染みの司書だろうが、“禁術破り”という立派な違反行為を実行に移している今、それをどんな人間にも漏らすわけにはいくまい。

 ティタは図書館のある一角で足を止めると、ティタは本棚に向かって立つと、おもむろにその本棚に収められている本を持てるだけ持つ。
 彼女は下で呆然としていたカーエス達に歩み寄って指示した。

「何ぼさっとしてるのさ。そこの一角にある本を全部こっちの机に移すんだ。手伝いな」

 そう言ってティタは、中央に置かれていた閲覧用の机に自分の持ってきた本を積む。
 次の瞬間、どさどさ、という音と共に、机の上が本で埋め尽くされた。ティタが眼を丸くしてカーエスを見遣ると、彼はにやっと笑った。

「こんなもんで?」
「……じゃあ、次は空になった段の棚板を外してもらおうか」

 カーエスは、目標をちらりと見ると、右手を上げて手招きのような仕種をする。
 すると、本棚の空になった段を分けていた棚板が次々と外れ、本が山のように積まれている閲覧用の机に立ち掛かる。
 そして、彼はもう一度ティタをみて、にやっと笑う。
 ティタは、呆れたように言った。

「全く便利だね、魔法ってやつは」

 ティタは、隙間なく本が敷き詰められた図書館の本棚の中で、ポッカリとスペースの空いている棚の背板に向かうと、真ん中あたりに開いていた小さな穴に指を突っ込み、引き戸を開くように引っ張る。
 すると、棚の背板が本当に引き戸のようにがらりと開いた。
 その奥にはすぐ壁があったが、外見からしてただの壁ではない。そこに描かれていたのは何らかの効果をもたらすと思われる魔法陣である。おそらく移動用魔法陣だろう。今は何の輝きも発していない事から、今はその働きはないらしい。
 ティタは、その壁を撫でるように手を滑らせて唱える。

「いざ開けん、忘却の引き出しを。そして取り戻さん、忘れ去られし知識を」

 魔法の呪文に似た響きのその言葉は、その魔法陣を発動する合い言葉だったのだろう、唱え終わった瞬間から、魔法陣が輝きはじめた。
 その輝きはどんどん強みを増し、ある瞬間にティタの身体をその光の中に取り込むと彼女の姿がその場から消える。
 案内人であるはずの彼女が、何も言わずに姿を消してしまった事にカーエスとジェシカが一度顔を見合わせるたが、なんの事はない、彼女の真似をすればいい話なのだと気付くのに時間と言うほどの時間は掛からなかった。


 果たして、それは正解だったようで、彼等が同じように合い言葉を唱えて閃光に包まれたカーエスは気が付くと長い廊下の端のようなところに立っていた。続いて、ジェシカが同じように姿を現わす。
 全員揃ったところで、ティタは廊下の伸びていく方向を指差した。

「この先は一本道だから、アンタ達でも十分行けるはずだよ」
「え? ティタはん、来えへんのですか?」
「あたしの役目は無くなったし、これ以上先に進んでも足手纏いになるだけだからね」

 ティタはそう言ってひらひらと手を振りながら踵を返し、その場にあった移動用魔法陣の上に乗った。おそらく図書館に戻るためのものだろう。こちらのものは常時発動しているタイプの魔法陣らしく、特に合い言葉を唱えなくてもティタを光に包み込んでいく。

「ああ、言い忘れるトコだったけど、忘却の間の前では自動の防衛用魔導兵器が一体いるから。詳しい事は知らないけど、噂じゃどんな魔導士でも勝てないって話だから気をつけな」

 光の中からティタは捲し立てるように付け加えると、その言葉を言い終わるのを待っていたかのようなタイミングで彼女の姿が消えた。
 その場に残された二人は、お互いを一瞥する。

「遅れんなや」
「それは私の台詞だ」

 そう軽く言い合うと、その廊下を限り無く全力疾走に近い早さで走り始めた。



 一人、魔導研究所図書館の一角に戻ってきたティタは静寂を乱さない程度に息を付き、閲覧用机に並んでいる椅子の内の一脚を引いて腰を掛けた。
 先ほどまで慌ただしい状況に身をおいていたため、今の図書館の静けさの中に一人身をおいているこの状況は、あたかも時が止まっているような気さえ起こさせる。

 つい、手助けをしてしまった。

 失態でも侵してしまったかのように、彼女は高い天井を仰いだ。
 先ほど完全に失われたはずの希望だった。リク=エールの限り無く死体に近い状態をみた時に、自分は確かに失望したはずだった。それが今また彼女の心の中で燻り始めている。
 絶対に助からないと言われた状況で、カーエスが呼んだ元魔導医師が、“どんな病気、怪我でも治す魔法”を開発し、あっさりと禁術にしてしまったという噂でティタ達の間では有名だったジッターク=フェイシンで、同じくその場にいた自分は偶然、許可無しでも“忘却の間”への道筋を知っていた。
 全てがリク=エールの命を助けるために動いているようにさえ感じられる。学者である立場上、あまり非論理的な事は信じられないのだが、今は運命というものを信じてもいい。

(あたしもいつの間にかアイツに惚れ込んだかな……?)

 否、初めリクからその質問をされた時から、彼女はリクを助けたかったに違いない。しかし気に入っただけに、自分の夢の為に死なせるのを惜しいと感じていたのだろう。
 しかし、今、リクを助けるために何のためらいもなく行動を起こしている自分に、ティタは自然と笑みがこぼれた。

 -------一番楽しいのは、夢に向かって苦労している時なんだよ。

 エスタームトレイルの終了直後に聞いたリクの言葉が蘇る。確かに、何を悩む事無く夢に心を浮かべている時、心は軽い。何の束縛も感じない。何の悔いも起こる気がしない。一刻一刻、確かに生きているという実感がある。
 リクも同じなのだろう。あの瞳の輝きは、夢に身と心を任せているから在るものなのだ。それを邪魔するのはやはり、あの瞳の輝きを鈍らせる事にはならないだろうか。
 そんな考えが自分の中に生まれはじめていることを、ティタはハッキリと自覚していた。

 乱れた息が完全に整い、汗も引いた時、ふと自分の目の前に積まれた本の山を一瞥したティタは思わず溜息を漏らしてしまった。これを元に戻すのは相当骨が折れる作業だろう。

(どうするかなぁ、コレ。あとでカーエスにでも頼んだ方がいいか)

 人に頼るのはあまり好きではないが、魔導士があれだけ便利な存在だと、何もかもを任せてしまいたくなる。
 おそらくジッタークが魔導医療に付いて訴えたかったのはそういう事ではないだろうか。より体重を任せて寄り掛かっていると、それだけその支えが消えた時の転び方は激しい。
 この図書館にしてもそうだ。今は全てを記録した魔導器を使って簡単に検索でき、研究も効率的にできるが、もし魔導器が使えなくなったら、今の楽な研究方法に馴れきった魔導研究所の研究員達は、研究に対する根気を保つ事はできるのだろうか。

 ともかく、バレて邪魔が入らないようにするためにも、移動用魔法陣だけは隠した方が良いだろう。不自然に見えないように、棚板もできるだけ早く戻しておいた方がいい。
 先ほど走ったばかりなだけに、気が滅入るが、リクの様子も気になるので、重い腰を上げて、作業に取りかかった。

 引き戸のような本棚の背板を元に戻し、棚板を何段かはめなおしたところで、彼女は遠くの方で騒がしい物音を耳にした。
 この音の響き具合では、図書館の入り口あたりからだろう。

(やれやれ、図書館では静かにするって最低のマナーも守られないとは嘆かわしい世の中だね)

 ティタは呆れたように眉根を寄せると、一喝注意してやろうと入り口の方に足を運んでいった。

 ほどなくして、そこに辿り着いたティタだったが、入り口のエリアに入ろうとする直前で反射的に身を隠した。
 何か様子が変だ。
 入り口には何故か軍事用魔導器を装備した魔導士がおり、司書の女性はカウンターに突っ伏している。わずかに肩が呼吸で上下している事から、ただ眠らされているのだろう。
 魔導士は一人ではなく、四人おり、中心になっている一人が残りの三人に指示する。

「図書館の中を一度見回っておけ」
「しかし、誰かいるでしょうか?」

 もっともな部下の質問に、リーダー格の魔導士は小さく頷いて答えた。

「万が一という事もあるだろう。この作戦に失敗は許されないんだ」

(そんな余計な事考えなくてもいいのに)

 ティタは胸中で毒づいた。よく分からないが、“作戦”とやらは相当大掛かりなものらしい。会話からは、研究所にいる全員を巻き込むつもりのようだ。もし、見つかれば司書の女性のように眠らされるのだろう。
 特に必要がなければ、危害は加えるつもりはないのだろうが、それでもティタはここからどうしても抜け出す必要性を感じた。
 ここから抜け出して、開発・研究室棟の医務室にいる皆にこの事態を知らせなければならない。このことに巻き込まれてリクの治療を邪魔されては困る。図書館まで手が回るくらいだから、手遅れかも知れないが、何も手を打たないよりかはマシだ。
 魔導士相手なら、どんなに弱い相手でも叶うわけがないが、幸い図書館の地理は知り尽くしている。ここから抜け出すくらいなら何とかなるだろう。ティタは自分の方に歩いてくる魔導士を一瞥して図書館の奥へと駆けていった。


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『住居・宿泊施設棟全エリア、制圧しました』
『開発部全エリア、制圧しました』
『研究部実験施設第二エリア、制圧しました』

 “伝声器”から、次々と研究所各部の制圧が完了した旨を伝える報告が流されてくる。今、この場を支配しているのはその“伝声器”からの声だけだ。
 未だドミーニクの《蔓の束縛》に拘束されたままのアルムスはその声を聞く度に、その顔を強ばらせる。彼も気付かされていた。ディオスカスがいかに大きな力を持っていたかという事に。
 しかし効率上、魔導士団の団長と開発部長は同一人物である方が良かったのだ。開発部は様々な魔導器を開発する。魔導器の中には魔導士でなければ扱えないものがあり、その試験をするために必要な魔導士を比較的簡単に調達できるし、なにより魔導器を創る開発者達には魔導理論を肌で理解している魔導士が多いのである。

「研究所全てを制圧して、それからどうするつもりだ?」
「あなたがそれを知る必要は無い。ただ、我々のする事を黙って見ていていただければよろしい」

 ほとんど呻くようにして発せられたアルムスの質問を、ディオスカスはあっさりと切り捨てるように応じた。
 その後、再び彼等の間には沈黙が訪れるが、三秒後、ディオスカスが付け足して言った。

「いや、あなたには二、三していただく事がある。あまり無駄な事は考えずに協力願いたい」

 何かを含んだようなディオスカスの物言いに、アルムスは眉を潜めた。

『研究部医務室以外の全エリアを制圧しました』
「御苦労。医務室については後で指示を与えるまで手を出すな」

 簡易な報告に、簡易な指示。それ以外のものは要らないくらいに、この計画は綿密に練られているのだ。
 この状況をひっくり返すのは難しい。魔導研究所内にある武力のほとんどはディオスカスの手の中にあるのだ。
 しかし手が全く無くなったわけではない。

『行政部全エリアを制圧しました。しかし、行政部長が抵抗し、逃走。現在行方不明です』
「エイスか……。奴は聡いからな。構わん、取りあえず予想範囲内の事だ」

 エイス=マークシオ。ディオスカスと並び、昨日まで自らの片腕だった行政部長の名前を聞いて、アルムスは内心ほくそ笑む。 
 魔導士団には属さないが、彼は立派に上級魔導士の資格を持っている。聡い彼の事だ、きっと彼の考えている事を実行に移してくれるだろう。
 しかし、次の“伝声器”からの報告がアルムスを打ちのめした。

『魔導士養成学校を閉鎖、完全に隔離を完了しました』
「なっ……!?」

 思わず声を上げて眉を釣り上げるアルムスに、ディオスカスが勝ち誇った笑みを浮かべる。

「おや、申し訳ない。あなたの希望を潰してしまったようだ」

 アルムスの考えていた手とは、魔導学校の生徒を頼る事だった。ディオスカスは機密を守るために、信用するに足りない魔導学校の生徒までは配下に加えてはいないだろうし、それどころか眼中に入れていない可能性もあった。
 だが魔導学校の生徒のほとんどは魔法を実践レベルで使いこなす事ができる。もちろん実力は魔導士団に所属するレベルの魔導士達には叶わないだろう。しかし、数は多く、戦力にはなりうる。やり方次第ではディオスカスに対し、アルムス達が唯一切れるカードになるはずだった。
 しかし使うには信用が足りず、放っておいては邪魔になる魔導学校の生徒達を、ディオスカスは魔導学校ごと封じてしまったのだ。単純且つ、確実な対処法であるといえる。

「ふむ、これで一応状況は落ち着いたか」

 魔導学校、行政部、開発部、研究部、住居・宿泊施設棟。今までの報告からすると、今の魔導学校の閉鎖で、ディオスカス達は魔導研究所のほぼ全体を掌握した事になる。これからどうするのかは知らないが、ディオスカス達がどこに移動しようとも、抵抗を受ける事はないだろう。
 ディオスカスはちらりと時計を見た。アルムスもつられてそちらに目をやると、“白の刻”から六分刻(三十分)も過ぎていない。その迅速さに満足したのか、ディオスカスは口元に笑みを浮かべると、“伝声器”を通して言った。

「同志諸君、御苦労。ただ今を持って作戦の第一段階を終了する。続いて第二段階にはいる。各自作戦内容を確認し、油断せずに与えられた役割に従事するように」

 そう言って、ディオスカスは“伝声器”のスイッチを切り、アルムスに向き直って言った。その口元には、楽しみにしていた時がきたような、そんな笑みが浮かべられている。

「それでは私に付いてきていただこう」

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